Teba's ストーリー

ペイン人の友人Tebaの被災体験

POCKETS for NOTO

「POCKETS for NOTO」は、スペイン人の友人Tebaが令和6年能登半島地震で輪島で被災し、
1月4日に現地の宿の方の協力により無事救出されたところから始まりました。

友人救出に際し、宿泊先「お宿たなか」の田中さん御夫婦が
ご自分たちも被災しているにも関わらずご尽力くださいました。

これは友人Tebaからのメッセージです。

ー Tebaの体験記

テバの能登大地震 被災体験

あの地震、悲鳴、津波から逃げるために靴も履かずに走ったこと…もちろん無傷で済んだことは嬉しいけれど、今でも思い出すのが怖いです。
そして、避難所に残った人たちのことを考えずにはいられません。

彼らは英語を話しませんでしたが、一緒に閉じ込められて過ごした4日間、私たちはなぜか完璧に理解し合えていました。

彼らは私たちの面倒をよく見てくれて、私たちが避難(帰国)できることを笑顔で祝ってくれました。お土産をくれたり、ハグもしてくれました(そう!日本人も感情を表に出すことがあるんです)。

彼らは行き場を失い、地震の余震に耐え、ほとんどの家が住めなくなっているため、政府の援助を待つしかありません。なんという恐怖、そしてなんという悲劇でしょうか。

彼らは文句も言わず、泣いたりもしません。でも輪島の人々の強さ、優しさ、無力さを思うと、私は涙が止まりません。

ー 原文

Teba’s story on Noto Peninsula Earthquake

I’m still afraid to remember the earthquake, the screams, running without shoes escaping the tsunami… and of course I’m happy to have been able to get out unharmed… but I can’t stop thinking about the people who have stayed there, in the shelter.

They didn’t speak English but, I don’t know how, we understood each other perfectly the 4 days we spent locked up together. They took great care of us and celebrated our evacuation with smiles, some gifts and hugs (yes! the Japanese sometimes embrace a lot).

They have nowhere to go and they are left enduring the aftershocks of the earthquake and waiting for the help of the government, since most of their houses are uninhabitable. What a horror and what a tragedy.

At no time have they complained or cried. But I can’t stop crying when I think about the strength, tenderness and helplessness of Wajima’s people.

Photos by Teba.

輪島「お宿たなか」の田中さんが金沢に車で来るにあたって、車に詰めるだけの物資と支援金を友人と用意しました。短い時間の呼びかけにもかかわらず、沢山の友人からお申し出いただきました。POCKETS for NOTO立ち上げを決意するにいたりました。