1月4日の支援

POCKETS for NOTOは、スペイン人の友人が令和6年能登半島地震で輪島で被災し、
1月4日に現地の宿の方の協力により無事救出されたところから始まりました。
急で短い時間の呼びかけにも関わらず沢山の方が支援に賛同し協力してくれました。
ご協力いただいた皆様へのご報告としてこちらに書き留めます。

<ご協力くださった皆様へ>

この度は、個人的に動いている能登地震支援にご協力ありがとうございました。無事、物資と支援金をおやど田中さんにお渡ししました。

スペイン人二人も無事に金沢に帰ってきて、一旦市内のホテルでシャワーをし仮眠をとって、夜の新幹線で東京に向かい、明後日帰国できることになって安心しています。

 日本に旅行にくる彼らの旅程に輪島を入れることを勧め、1月1日、金沢駅まで送りました。地震が発生したのは、彼らが輪島へ到着後、とても素敵なところだね、とメッセージをくれた直後のこと。

 能登半島から金沢への道路は全て通行止め。6日にはスペイン帰国の予定が、しばらく身動きが取れない、つまり帰国が危ういという事実に、関係者全員がショックを受けました。

 幸い、2人が宿泊した宿泊先である「おやど田中」の田中さんがとても親切で、安全な避難先に誘導してくださいました。ですが、水や食料は最低限です。そんな中、ご自身達も被災しているにも関わらず、お客様をまずは返したいという想いで、1月4日に友人二人を金沢へ車で送ってくださることに。

 1月4日朝7時に輪島を出発した車は穴水に9:00、七尾に10:00と順調に南下してきました。そして11:40には金沢駅に到着!4時間半!これは予想していないほどの速さです。

 輪島から金沢は115キロ。通常は高速道路である里山街道を利用することによって2時間半でこれる道のりですが、地震により道も隆起したりがけ崩れなどがあり、下道もかなりのダメージで通行止めも多く、また、多くの車が移動し始め大渋滞と聞いていて、9時間かかったという話も聞きました。

 しかし、早朝より自衛隊が土砂崩れの道を直してくれたようで、まず一番の難関、輪島から穴水を無事通過。
また、被災地から金沢への車が優先だったそうで、前日までの大渋滞をコントロールしてまず被災者が金沢に移動できるようにしてくれていたようです。

そして、田中さんは途中途中で現地の方のアドバイスをもらって、渋滞箇所を通らずうまく抜けてこられたようです!友人のTebaも「田中さんはとっても運転が上手だった」と言っていました。途中でタイヤが亀裂にはまるなどで立ち往生、二次災害を生んでいる車もある中、、、本当によかったです。
(実際、あまりに亀裂、陥没がすごい場所があり、もうだめか引き返そうかと思ったことが何度もあったそうです。)

 宿は2007年の能登半島地震でも耐えたので、今回最初の地震(余震?震度5強)のときは、きっと大丈夫とおもったそうですが、その直後の最大震度7の本震には太刀打ちできなかったようです。

 隣近所の建物が倒壊するなか、かろうじて踏ん張って建っているようですが、中はぐちゃぐちゃ、断水、ライフラインの崩壊で避難中です。
tebaたちの荷物はそんな中、集めてくださってスーツケースに入れて翌日持ってきてくれたので、スリッパのまま出た彼らに靴もダウンジャケットも戻ってきて避難所でそれらにくるまることができました。

避難所にも様々な状況の方がいらっしゃって、みんなで助け合いながら過ごしていたそうです。
私は日本語が話せない彼ら、英語がわからない皆さんの間で、微力ながら遠隔で情報の共有をしたりヘルプをしていました。
ラッキーなことに、通信、電気は来ていたのです! whats Appで二人と連絡が取れていたのは不幸中の幸いでした。

不安な日々をおくっていた中、明日朝金沢に車でむかってみようと思いますと田中さん。前日の3日は救助の車に加え、被災地からどうにか戻ろうとする方、個人で物資を運ぶ方などで大渋滞。前述のとおりSNSをみても9時間11時間かかったという方ばかり、、せっかく来ていただけるのなら、帰りに何かを持っていっていただきたいと、急遽個人のSNSで友人限定でお手伝いと支援金のお願いをしてみました。


急な呼びかけにも関わらず、沢山の友人から問い合わせがありました。
物資も届きはじめていますが、必要なものを事前にお聞きして3名で用意しました。

能登の方は奥ゆかしいのです。当初はお気遣いなくというようなことも言われました。ですが用意したものをみてもらって、最終的にはすべて必要ともっていかれました。車に積めるだけの物資でしたが…。

用意したのは下記のもの

・ポリタンク大、中6個ほど(すでに給水がはじまり、タンクが必要でした)

・ペットポトルの水

・紙コップ、紙皿など

・インスタントラーメン、スープ、味噌汁など

・魚肉ソーセージなど加工品

・ナッツやチョコ、お菓子など(子供用にも)

・ウェットティッシュなど衛生用品

・オムツ(大人向け多め)

・生理用ナプキン

・女性の方向けに拭き取り化粧水や乳液など

到着が思いの外早く、急いでいたため写真を取るのをわすれてしまいました(汗)

そして、これらを購入して残ったお金を支援金としてお渡ししました。

田中さんも女将さんも、お金はみんなで使うべきものだからと、まずは市役所に届けるということでした。必要なものは購入して帰ってくださいと申し上げたのですが。

ところで、他県の皆さんご存知ないかもしれませんが、能登の方は本当にまっすぐで、決して表だったことはしないけれど芯がつよく、そしてとても優しいのです。

忍耐強くよく働くことでも知られています。

金沢で頑張っている人は能登出身の方も沢山おられます。忍耐強さと仕事の細やかさなどで、灘杜氏として冬の時期には出稼ぎに行く方はいまでも多いです。

Tebaは、言っていました。

「なぜみんなあんなに静かに穏やかに礼儀正しく、お互いを気遣っていられるのか不思議だった」と。

スペインなら泣き叫び、パニックになるだろう、と。

いや、泣き叫びたいしパニックなのでしょう。が、この事実を受け入れ次に進んでいかなければいかないと、黙々と皆さん動いているのではないかなと思います。

壊滅的なダメージをうけた能登ですが、きっとそんな強い能登の方の思いと力できっと復興することと思います。

それまで、また支援をつづけていけたらと思います。皆様のお力をまたよろしくおねがいします。

女将さんも旦那さんもお疲れなのに、これからまた戻ってあちらで復興作業をするということです。他の方はもっと大変な目にあってるのでしょうから。。

動ける方はいろんな形で動きましょう。ご一緒に。

2024年1月4日

POCKETS for NOTO
本広まき