POCKETS for NOTO
はじまりのこと

R6年能登半島地震で、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族に心からお悔やみを申し上げます。
被災地域の一日も早い復興をお祈りいたします。


現在被災地への支援の輪が広がっており、その方法は様々ありどれも大事な支援だと思います。

私には能登に繋がりのある友人がいます。

その友人の実家や友達、お里のおじいちゃんおばあちゃん、育った保育園の先生、商店のおばちゃん。町の活性化に奮闘するカフェの方々。
農業、漁業の再開にむけがんばる皆さん。

今、生活を立て直すのに困っている方が沢山います。私には大きな支援は出来ないけれど、みんながこのポケットに繋がってくれたら、更に奥の方の痛いところに手が届く支援ができると思います。

県や自治体、各ボランティア団体。
どちらも別のアプローチから支援をしていますので、是非応援してください。

そして、私達の支援活動を通しての支援にも賛同いただけたら、是非お願いします。

アクションをすることで、そこから輪繋ぎに支援を広げて行けたら、今は見えない「あの人」へも何か届けられるのではないかと。

そんな大きな希望を持って、

小さな活動から始めてみます。

じまり

私は東京在住ですが、地元金沢との2拠点生活をしております。コロナ禍で海外旅行に行くこともできず、国内に目を向ける機会となったのもあり、2023年は三度能登を訪れました。宇出津や小木港、輪島、珠洲。奥能登芸術祭も開催された年でしたので、母と一緒にアートめぐりも楽しみました。

素晴らしい風土、美味しい食べ物、優しい人々に癒やされ、その魅力にすっかりはまり、気がつけば三度も、能登を訪れていたのでした。

そんな大好きな能登が大地震に見舞われ、壊滅的な状況となったことに深く心を痛めています。

私がこのアクションを始めたのはスペインからの友人が輪島で被災したことから始まります。

その際に友人に呼びかけた輪島への支援協力に短時間にも関わらず沢山の方が賛同し協力してくれました。
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プロジェクト

1月4日の友人Tebaの救出後、これからも何かできることがあったら協力したいという声が絶えませんでした。

何かもっとできることがあるのではないか?
と考えていた時、周りに能登が地元でご家族が被災している、住んでいた町が、道が、家が崩壊した。みんながいる被災地へ現地の声を聞いて支援をはじめたという友人がいることに気が付きました。

周りの支援や応援ももらいながらですが、個人で動くのには限界があるのではと思いました。
そうだ、私が窓口になって、その人達が動きやすいようにできるのでは?と思いついたのです。

実際1/4の輪島の支援をやってみて、個人で支援をまとめるのは難しいと実感しました。ですので、私の会社が窓口になって支援金を預かり、実際に動く人に管理してもらったら必要なものが必要な人に届くのではと思ったのです。

支援したい方から預かった気持ちを、大きいポケットから小さいポケットへ。
必要なものを詰めて、現地に大切に届ける。

私の大雑把な案に、能登の支援をしたい友人、金沢に住む友人、東京の友人などがプロジェクトに賛同してくれました。

こうしてPOCKETS for NOTOが立ち上がりました。

POCKETS for NOTO

被災地ではその場所、その日によって必要な物資が変化していきます。日々届く物資の選別や分類、配布作業も人不足が続き、一部足りないものやオペレーションを考えると妥当ではない物資も多く、本来の狙いである「被災地に少しでも快適な生活」が難しい状況です。
そこで「POCKETS for NOTO」は被災地エリアにて活動しているメンバーにより、フレキシブルに必要な物資を購入できる方法を作りました。

あなたの縁のあるエリアにサポートいただいたり、今特に不足しているであろう選択を私たちに委ねていただいても大丈夫です。
公共機関や各種団体様が様々なサポートを始められていますが、私たちにご共感いただけましたら是非ご活用ください。

1日も早い復興を、何よりもそれまでの被災地での生活を少しでも快適にできますよう、チームメンバー一丸となり取り組んでまいります。

POCKETS for NOTO
代表 本広まき

私たちが責任を持って被災地の方へ届けます。